あどけない話

Internet technologies

平原さんとの想い出

7月29日の夕刻、平原正樹さんが他界した。ジョギング中に倒れ、救急車で運ばれたが、病院に運び込まれたときには脈がなかったという。

僕は、この事実を受け止められないでいる。

4月に JPRS のパーティでお会いしたときは、幾分貫禄が増していたものの、あれほど元気そうだったのに。そのときも、いつものように、笑顔だった。無理にでも誘って飲みに行けばよかったと思う。

棺の中の平原さんは、今にも目を開けるのではないかというほど、安らかな顔をしていた。遠方で駆けつけられない仲間の分も、お別れを言ってきた。悲しげな笛の音が流れる中、大勢の人が泣いていた。

子煩悩だった平原さんのことだから、三人のお子さんの花婿・花嫁姿を見られなかったことは、さぞ残念だろう。

僕が九大の4年生になり、研究室に配属されるのと入れ替わりに、平原さんは東大に移られた。ネットワーク関連で月に一度程度東京に行くようになってから、平原さんにたくさんお世話をして頂いた。貧乏な学生だったから、家に泊めて頂いたこともある。僕をネットワークの世界に導いてくれたのは、平原さんなのだ。

M2 になって、平原さんが九大に戻ってこられ、別に研究室を構えると、僕はちょくちょく顔を出した。あの頃は、インターネットの黎明期で、研究室も熱かった。ソフトボールをしたり、飲んだり。小さいが本当によい研究室だった。

一番悲しいであろう、喪主の奥様が、自分たちのことよりも先に、「主人はネットワークを人のために役立てたいと言っていた。みなさんも頑張って欲しい」とおっしゃって下さった。僕は、平原さんに遠く及ばないが、少しでも近づけるように頑張りたいと思う。

後のことは気にせず、今は、安らかにお眠り下さい。