言語表現法講義

- 作者: 加藤典洋
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1996/10/08
- メディア: 単行本
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文章の書き方をテーマとした名著に出会うと、心の中に爽やかな風が吹き抜けていく。こんな風に文章を書けるようになりたいなと。
この本を読んで吹いた風は、爽やかではなかった。熱風に吹き飛ばされそうになった。
この本は、9年に渡る大学での講義録である。熱風の源は、著者の態度にある。学生と真剣に向き合っているのだ。
なぜ最近の学生は文章を書くのが嫌いか。その理由がすぐにわかった。なぜかというと、いくら書いても教師がこれをしっかり読まないからだ。
この授業では、学生の書いた文章を著者が読み授業で批評する。ときには厳しく批判し、ときには「これはちょっと僕には書けない文章だ」と褒める。
私が大学の先生ならこんな情熱は持ち得ないし、学生であればぜひ受講してみたいと思う。
正直なところ、この本は読み易いとはいえない。講義の雰囲気を出すためか、文章が喋り口調だから。僕は購入後、一旦読むのを放棄した。再び読み始めて、少し我慢して読み進めていると、その内トーンに慣れてくる。そうなったら、後は止まらなくなった。
美
よい文章とは何かという問いに対する答えをこの著者も紹介している。
- 自分にしか書けないことを
- 誰が読んでも分かるように書く
よく見聞きする模範解答だ。こういう基本を押さえながら、一方で著者自身の考えも示される。「美しい」とは何か?
僕は感動する。うん、いい、これは僕がいい、と感じるんだから誰もが --- まともだったら --- いい、と感じるはずだ、と。... 他の人はどうか知らない、でも、自分の楽しみだからいいんだ、そんなのは、嘘。逃げている。自分のいい、という感情が他の人間から、たとえば僕から否定されるのをおそれている。
そうか、僕も随分と逃げているな。
はじめと終わり
理想の書き出しは、自分を追い込むような、後には引けなくなるような文だと言う。息子夫婦のけんかついて相談した人に対して、こう始めた回答を引用している。
いい加減になさい。それでも親ですか。
確かに、こういう書き出しだと、書き終わるまで緊張感を持たざるをえない。
「終わりの美辞麗句は、すべてを台無しにする」とも。同感だ。
僕はスポーツが好きなので、よくスポーツの記事を読む。記事の多くは、美辞麗句で終わっている。たとえば、こんなふうに。
明日の試合では、一矢報いてやるつもりだ。
どんなに丁寧に取材した記事でも、このまとめでダメになる。書かなきゃいいのに。
フィクション
著者は自分から自由になるためにフィクションが必要だと説く。たとえば、おばあちゃんから聞いた話を、おばあちゃんになりきって代わりに書く。すると、おばあちゃん自身が書くよりも、素晴らしい文章になることがあると言う。
フィクションよりも適切な言葉がある気もするが、著者の示した例文を読めば、言わんとすることがよく伝わってくる。そうか、文章にはこんな可能性があるのかと、思い知った。
また、一つの疑念も解消した。またスポーツ記事の例で恐縮だが、こういう記事が目につく。
自信ですか? もちろんあります。
スポーツ選手は、「自信ですか?」なんて言ってないはずだ。「自信はありますか?」と記者が質問したから、「もちろんあります」と答えたのに違いない。
このスタイルを僕が嫌いなのは、フィクションになってない、嘘だからと分かった。この類いの記者は、フィクションと嘘の違いに鈍感なのだろう。
比喩のうまさ
著者は比喩が抜群にうまい。比喩を思いつく方法に付いては説明してないのだけれど、比喩に富んだ説明を読むと、思わずうなってしまう。一例を挙げてみよう。
文章には「あれ?何について書いていたんだっけ?」という風にすべてを忘れてしまう、そんな瞬間があってもいいと説く。その感じをゆりかもめに例えている。
臨海副都心から来ると、橋をわたりきったところで、高低差を調整するためでしょう、一回ぐるっと、ワープしますね。...このワープ空間でみんな魔法をかけられる。一回転して、夢の島へ、という形なんです。
誰が読むべきか
おそらく、文章の入門書としては辛い。入門には他に名著がある。
いつも文章を書いていて、もっと上を目指したいという人には、宝の山だろう。